あんぱんまんの無償性とは
明日から6年生は奈良県へ修学旅行に行きます。留守の間、5年生、学校のことをよろしくお願いいたします。
さて、今年度は、清泉で大切にしている10の価値の中の「無償性」について考えています。
前回の講堂朝礼では、やなせたかしさんの「あんぱんまん」を紹介して、あんぱんまんの無償性とは何かということを、皆さんに問いかけました。そうしましたら、その後たくさんの方々が、様々な考えを教えてくれました。
先日お話をした無償性とは、「自分の利益を求めない、見返りのない愛を渡すこと」でした。今日もあんぱんまんの無償性についていっしょに考えたいと思います。

まず、4年生の考えをご紹介します。
「あんぱんまんの無償性は困っている人に頭を食べていいよ、と差し出すことができることです。」
「あんぱんまんのことばの、ぜんぶ食べてもいいんだよ、すぐげんきになれる、に無償性がたくさん入っていると思いました。」
そうです。あんぱんまんは、自分の大切な頭をどうぞ、と差し出していますね。そして全部いいんだよ、とも言っていました。自分の頭はなくなってもいい、ということですから大きな犠牲です。
他にも
「とてつもなく優しいところ。」
「心配になるくらいあんぱんまんは、優しすぎる。」
「人を元気にしてあげて、喜ばせることができるところ。」
などに無償性を感じたという考えもありました。
困っている人に、自分の心と体を使って、「どうぞ」とあんぱんまんは言っています。なんて優しいのでしょう。
「自分のことは後回しにして人を助けるところ。」
と言っている人もいました。
そしてあんぱんまんの無償性について、
「悪者をやっつけて、人を助けるのではないところ。」
と書いていた方がいました。いわゆるヒーローのお話とは違うところに目を付けていて、感心しました。バイキンマンもまだ出てこない初期のあんぱんまんは、とにかく自分を犠牲にしていますね。

次に5年生のあんぱんまんの無償性についての考えを紹介します。
「自分のことはいいから、だれかを幸せにできればいい」
自分のことはいいから、ということは、なかなかできないことです。あんぱんまんはそれを実行していますね。
「あんぱんまんは、自分の大事な顔を困っている人に渡して、お返しを求めていない。」
たしかに、わたしの大事な顔をあげたのだから、あなたも私に何かしてちょうだい、とは言っていません。
「大切な自分の顔を失っても、困っている人が笑顔になることを喜んでいること」
「困っている人がいたら、自ら助け、見返りを求めない心」
この2人の方の、“困っている人が笑顔になる”や“自ら助け”という言葉は、特に無償性の核心をついていると思いました。

最後に6年生の考えです。
「あんぱんまんの無償性は清泉で行っているチャリティーのように、周りの人を笑顔にして、自分も笑顔になることだと思います。」
「あんぱんまんの無償性は決して強い武器を持たずに、自分が損をしてもいいから、目の前の人を幸せにしたいということだと思います。」
「自分が傷ついても、他人を助けることだと思います。」
「どんな人にも優しく、困っている人がいたら助けることだと僕は思いました。」
これらの考えの中の“周りの人を笑顔にしたい、幸せにしたい”や、“自分は損をしても傷ついても、どんな人にも”という視点をつかんでいる6年生の考えは、さすがだな、と思いました。大事な無償性のキーワードです。
あんぱんまんを書いたやなせさんは、あんぱんまんをあえて「弱いヒーロー」にしたのだそうです。手足が長く、指が5本あって、マントはぼろぼろ、かっこよくもかわいくもない顔を食べさせるヒーローです。
弱い人が勇気を出したとき、ほんとうのヒーローになるという考えがあります。顔が汚れたりぬれたりすると、パワーはなくなり、困っている人を助けてあげられない状況になる、つまり本来の力が出せなくなる、そんな時にパン作りのおじさんの力を必要とする、そんなヒーローにしたのです。
困っている人を救うというとき、自己犠牲が伴います。そんなときは、あんぱんまんのように、自分の大事な体を使うでしょう、心を尽くすでしょう、汗をかくでしょう、自分の大事な時間を渡すでしょう。
すべては困っている人が元気に笑顔になるように、です。
無償性は清泉小学校で大事にしている「お友だちを大切に」、そのものと言えるとも思います。
また次回の講堂朝礼でも、皆さんと共に「無償性」について考えていきたいと思います。

