清泉小だより

2025年06月

音楽 ~行事の様子~

「音楽でメッセージを届けたい」 互いの音を大切にして、行事に向けて練習を頑張りました。

1年生歓迎会 
 6年生は『さんぽ』、音楽劇『大きなかぶ』、2年生は『フレンズ』の歌をプレゼントしました。

 

マリアさまの集い 
 聖歌『マリアさまのこころ』を全員で合唱しました。 

 4年生は、ハンドベル演奏、『いつもいつもいっしょに』、 『めぐみあふれる聖マリア』、『Ave Maria』を歌いました。

 

学校の日 
 聖ラファエラ・マリアの想いを心に、全員で聖歌『麦の賛歌』を合唱しました。

 

聖心のミサ 
 音楽クラブと教員の演奏にのって、『小さい羊が』を全員で歌い祈りました。
 ボーイズ聖歌隊は『父よゆだねます』と『緑の牧場に』を歌いました。

 

 マリアさまの集いで、ハンドベルを演奏した8⼈の⼦供たち。集い後、「演奏で使⽤した⼿袋は宝物です。」、「このメンバーで演奏することはもうないかもしれない。とても⼤切な時間でした。」、「もう練習がないことがさみしい。」など、それぞれの思いを話してくれました。
各⾏事に向けて、どの学年も、練習から本番まで、精⼀杯取り組みました。⼼に残る素晴らしい演奏でした♪

校長だより~戦争といのち「かわいそうなぞう 」を通して~

今年度は、清泉で大事にしている10の価値の中の「生命」について考えています。前回は、災害からいのちを守ることについて考えました。昨日は朝の放送で、沖縄慰霊の日についてのおはなしがありましたが、今回も「戦争と生命」について考えたいと思います。

児童が考えた清泉10の価値「生命」のマスコットキャラクター

皆さんは上野動物園に行ったことがありますか。パンダがいました、ライオンやゾウを見ました、という方もいると思いますが、今から80年ほど前の戦争中の日本では、このような動物たちのいのちを薬などで処分せざるを得ないことがありました。清泉の100冊の中に「かわいそうなぞう」(金の星社)という本があります。読んだ人はいますか?あらすじをご紹介したいと思います。

80年ほど前の東京の上野動物園に3頭のゾウがいました。名前はジョン、トンキー、ワンリーといいました。その頃、アメリカとの戦争が激しくなってきました。動物園では、ライオン、トラ、ヒョウ、クマ、ダイジャなど猛獣と呼ばれる動物たちもいました。空襲で爆弾が動物園に落とされたらどうなることでしょう。檻が壊されて、恐ろしい動物たちが街に飛び出し暴れ出したら、大変なことになります。そこでライオンも、トラも、ヒョウも、クマも、ダイジャも、毒を飲ませて殺していました。そしていよいよ3頭のゾウも殺されることになったのです。

まずジョンに毒の入ったジャガイモを与えましたが、利口なジョンは長い鼻でポンポンと遠くに投げ返しました。食べませんでした。仕方なく毒薬の入った注射をしようと試みますが、ゾウの体の皮は厚くて、太い針はポキポキ折れてしまいます。結局、食べ物を1つもやらずにいますと、かわいそうに17日目に亡くなりました。

トンキーとワンリーはいつもかわいい目で心のやさしいゾウでした。なんとかいのちを助けたいと思い、動物園の人たちは仙台の動物園に送ることも考えましたが、仙台の街にも爆弾が落ちるかもしれません。ですから餌をやらずに上野動物園で殺すことにしました。ときどき見回りに行くと、よたよた立ち上がって「えさをください」と細い声を出してせがみました。

「いままで、どのぞうもじぶんのこどものようにかわいがってきたぞうがかりのひとは、ああ、かわいそうに、かわいそうに、と、おりのまえをいったりきたりしてうろうろするばかりでした。するとトンキーとワンリーは、ひょろひょろとからだをおこして、ぞうがかりのまえにすすみでたのでした。おたがいにぐったりとしたからだをせなかでもたれあって、げいとうをはじめたのです。」(本文より)

ゾウがかりの人はがまんできずに餌を運び、水を運びました。「さあ、たべろたべろ、のんでくれ、のんでおくれ。」とゾウの足に抱きすがりました。ゾウに餌をあげてはいけないですし、水を飲ませてはならないのです。けれどもこうして1日でも長く生かしておけば、戦争も終わり、ゾウも助かるかもしれないと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。

とうとうトンキーもワンリーもついに動けなくなり亡くなりました。ゾウがかりの人は、「ぞうがしんだあ。ぞうがしんだあ。」と声をあげて泣き出しました。その頭の上を、またも爆弾を積んだ敵の飛行機がごうごうと東京の空に攻め寄せてきました。「せんそうをやめろ。せんそうをやめてくれえ。やめてくれえ。」とゾウにだきついたまま、こぶしをふりあげて叫びました。

あとで調べますと、大きなゾウの胃袋にはひとしずくの水さえ、入っていませんでした。

というお話です。
人のいのちが脅かされる戦争は、動物たちのいのちをも巻き込んでしまいます。動物たちを我が子のようにお世話していた飼育員の方のことを考えますと、胸が張り裂けそうです。

前教皇のフランシスコ教皇様は、アフリカのナイジェリアの9歳の男の子の「どうしたら世界中の問題を解決できますか?」という質問に、このように答えています。

「わたしたちは、よい心を持った人たちが、戦争は悪いものだと自由に話すことができるように助けなければなりません。~中略~ 戦争の本当の理由は、自分さえよければいいというわがままな心と欲深さなのです。~中略~ 残念ながら、争いをなくす「魔法のつえ」はありません。戦争に勝つためのいちばんよい方法は、戦争を始めないことだということを、人びとにわからせなければなりません。簡単でないのはわかっています。でも、やってみます。あなたもやってみてください。」

この言葉通り、フランシスコ教皇様は平和の実現のために、生涯、力を尽くされました。新しい教皇、レオ14世も「あなたがたに平和があるように。対話と出会いを通じ、橋を架けましょう。」「世界のリーダーたちに訴える、二度と戦争を起こしてはならない」と強くメッセージを出されています。

未来は、皆さんが作り上げていきます。すべてのいのちを守るため、平和の種を蒔く人として歩んでいかれますように、たくさんのことを知り、考え、対話し、学んでいきましょう。

参考文献
「かわいそうなぞう」金の星社 土家由岐雄著
「フランシスコ教皇さまへ」ドンボスコ社 フランシスコ教皇片柳弘史訳

5年生 山の学校

6月5日から7日にかけての2泊3日、長野県の八子ケ峰(やしがみね)ホテルに宿泊しながら、「山の学校」を行いました。ホテルの皆様には3日間大変お世話になりました。

1日目は森林インストラクターの余(よ)頃(ころ)先生が、日本の森林率や自給率、森林の多面的機能などについて説明して下さいました。5年生全員が五分前行動で集合し、熱心にメモを取りながら自ら学ぶ姿を、褒めて下さいました。

2日目は車山登山。標高1650mの八島湿原を起点として、ガイドの平松様、有賀様のお心のこもった案内を受けながら標高1925mの車山山頂まで全長7kmあまりの坂道を登り続け、参加者全員が山頂に立つことができました。アルプスの山々を見渡しながら、坂道を登り切ったところにある大きな満足と達成感を皆で味わいました。

3日目は鷹山ファミリー牧場で体験ランチ作りに挑戦しました。乳しぼりや牛肉ソーセージ・バター作りの後、それらを頂きました。いつもより静かな雰囲気で食べる子ども達の姿を見て、自分が食べているもの一つひとつに命があったこと、自分はその命に支えられていることを深く実感したように見受けられました。

親元を離れ仲間と過ごしたこの日々、様々な経験がこれからの学校生活に大いにいかされていくことを願っています。

マリア様の集い

  5月は聖母月。マリアさまの月でした。一人ひとりがマリアさまのことを思いながら、1か月間過ごしました。5月28日に行われたマリア様の集いは、4年生が企画・運営を行い、「マリア様はどんな方なのか」「私にとってのマリア様とは」という問いと向き合い、感じたことをマリア様の集いで伝えました。

 今年のテーマは、「お祈り」。ハンドベルの演奏から始まったマリア様の集い。

 子どもたちが普段からお祈りしている「アヴェ・マリアの祈り」にはどんな意味が込められているのか、マリア様の歩まれた出来事と共に、言葉と絵で伝え、全校児童で考えました。

 そして、4年生は、「いつもいつもいっしょ」「めぐみあふれる聖マリア」「Ave Maria」の3曲を合唱しました。4年生の澄んだ歌声と共に、講堂いっぱいにマリア様への賛美と祈りが広がりました。

 次は、各学年によるお捧げとお祈りです。1か月間、マリア様にお捧げする実行を行ってきました。実行目標を達成するために、毎日努力を続けて参りました。

 最後は、4年生の代表児童による「私にとってのマリアさま」の発表です。耳を傾けていた全校の子どもたちも「私にとってのマリア様は何か」を考える機会となり、祈りの雰囲気の中、マリア様の集いを終えました。

校長だより~大切ないのちをまもる~

先日、地震津波避難訓練がありました。皆、真剣に訓練に参加していました。訓練は大事です。自分の命は自分で守りましょう。

日本は海や山でレジャーを楽しめる自然に恵まれた土地ですが、地震や津波などの災害も起きる国です。前回から清泉で大事にしている10の価値の中の「生命」について考えていますが、今回は、日本で実際に起きた災害を通して考えたいと思います。

今年の2月26日、岩手県大船渡市で発生した大規模な山林火災は40日経った4月7日に鎮火するまでに、1人の方が亡くなられ、住宅など200棟以上が被害を受けました。山手線の内側の面積の半分ほどが焼けてしまったそうです。

大船渡市は東北三陸リアス式海岸で有名なところです。今から14年前、2011年3月11日には東日本大震災が発生、大船渡の方々は震度6弱の揺れで非常に怖い思いをされ、その後すぐに起きた大津波で大事ないのちをたくさん亡くしました。亡くなられた方、行方不明の方合わせて419人、建物も5000世帯以上の被害が出ました。大船渡は漁業の町で、サンマ、ワカメ、ホタテ、カキやアワビの養殖でも知られていますが、その漁業にも甚大な被害が出ました。東日本大震災から14年かけてその復旧のために全力を注いできていたところに、再び大きな山林火災があったのです。再度家を失う方もいらしたと聞きました。二重被災に見舞われたことになります。

今年の3月のある朝、ラジオを聞いていた時に、まだ大規模山林火災のさなかにあった大船渡の方のメッセージをアナウンサーが読まれているのを聞いて、心が強く痛みました。大津波で被害を受け、お店を別の場所に移して営業を再開されていた方からのメールでした。今回の山林火災からは安全な場所にいらしたそうですが。こんなお手紙でした。

「毎日サイレンが鳴り、消防ヘリが飛んでいます。携帯アラームがけたたましく鳴り響いています。不安ばかりが募ります。道を連なって走る多くの緊急車両・・・天の神様、海の神様、山の神様、私たちはそんなにいけないことをしましたか。海に飲み込まれた夢を少しずつ取り戻しているのに。今度は希望を燃やし尽くしてしまうのですか。」

東日本大震災から14年、今度は大規模山林火災です。悲痛な叫びに聞こえました。どんなに不安だったことでしょう。消しても消しても止まらない火の勢いに、東日本大震災の時の恐怖と重なったそうです。夜になると山が赤く燃えているのが見え、いつになったらこの火がおさまるのかと気持ちもおさまらず、思わずラジオに投稿したということでした。

実際、大船渡市の消防の方は24時間休みなく交代で、民家を守るために懸命に消火活動をされていたそうです。また多くの避難者のために温かいものをと、炊き出しを率先して行った方もいらしたとのことでした。その中に東日本大震災で被災された方々もいらっしゃいました。「やりたくてやっています。」とお話しされ、不安で心が押しつぶされそうな人に少しでも寄り添いたいという強い思いをその方に感じました。

生命を脅かす危険な状況に陥った大船渡の方々を、全力で守ろうとする地元の方々の活動だけでなく、他県からの支援も多々あったと聞きました。生命を守ろうとするたくさんの力が働いていたのです。

月、清泉小学校でもこの状況を踏まえて、義援金として大船渡の方々に送りました。

このような生命の危機にさらされる方々が、日本国内、国外問わず多くいらっしゃいます。私たちは戦争、貧困、災害など、その実状を知ることが大事です。私たちは神さまの子どもですから、いただいた生命を守るために、困難のうちにおられる方々のことを知り、思いを寄せて祈り、何ができるのかを考え、私たちも実行していきたいと思います。

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