清泉小だより

1年生の総合学習

 一年間の総合学習のまとめとして、学習発表会を行いました。この一年間、B組は「土」を、N組は「ダイズ」をテーマに学びを深めてきました。

 B組は、お友だちと土にふれながら夢中になって取り組んだ一年間の学びをおうちの方にお話ししました。

 一番おうちの方に知ってほしかったことは、おだんご(どろだんご)のことでした。愛情をこめて、お名前をつけて、いつも片手に持って学校の森に駆け出していく子どもたちは、本当に愛らしい姿でした。学校や自然教室でさまざまな土を集めて試したり、より固く、よりつややかなだんごにするために方法を工夫したりと、子どもたちは試行錯誤を重ねました。

 さらに、卒業生の陶芸家・河村先生をお招きし、陶芸体験にも挑戦。自分たちの作品を登り窯で焼いていただき、土が焼かれることで変化する様子にも驚きと感動を味わいました。

 土が火山灰や砂、生き物の働きによって長い年月をかけて生まれることも学び、土が私たちの生活や食べ物を支えていることに気づきました。土とともに学んだ1年間の成長を、子どもたちの言葉で生き生きと伝える発表となりました。

 

 N組は、三浦キャンパス自然教室で「ダイズレストラン」を開き、おうちの方をご招待しました。私たちの身の回りにはたくさんの大豆からできているものがあることを知り、1年間かけて、きなこ、豆乳、おとうふ、お味噌などを自分たちで作ってきました。

 自分たちの手で大豆を育て、収穫する経験もしました。

 そして学習発表会では、大豆を使った料理を自分たちで作り、おうちの方に食べていただきました。

 レストランのメニュー、看板、メニュー紹介のセリフなどは、全て子どもたちが考えました。自分たちでいろいろなアイデアを出し合い、話し合って、みんなが納得して決めていくのは簡単なものではありませんでした。本番の日も、おうちの方の前で話すのは緊張したと思いますが、子どもたち同士で支えあい、助け合い、料理もおいしく作ることができ、おうちの方に喜んでいただくことができました。

 来週は最後の活動として、自分たちで仕込んだ味噌をお味噌汁・味噌おにぎりにしたり、野菜スティックにつけていただいたりと、みんなで味わいたいと考えています。

体育の授業の様子

 3学期の体育の授業は、体つくり運動として「縄跳び」、メインで「球技」(3年生以上)を行います。また、体育委員会主催の「しっぽ取り大会」と「大縄大会」も行われるため、その練習もしました。

 球技は今年度、3年生が「サッカー」、4年生が「バスケットボール」、5年生が「タグラグビー・バスケットボール」、6年生が「タグラグビー・ベースボール」でした。

 他の学習内容と違いチーム競技となるため、基礎的な練習を全体で行った後はチームごとに練習をし、役割を決めたり作戦を考えたりと、話し合いも活発に行われました。練習や話し合いに意味を持たせるために、試合もたくさん行いました。試合では、「礼に始まり礼に終わる」、きちんと礼をして始め、試合で熱くなっても終われば「ノーサイド」、礼をした後にお互いに握手をして、健闘を称え合うことを大切にしています。

 チームで練習をしたことが発揮され、ゴールを決めることができた子どもの輝く顔、周りで喜ぶ仲間の笑顔をたくさん見ることができる素敵な時間となりました。

3年生 宗教の授業

  3年生は、清泉小学校の設立母体である聖心侍女修道会のシスターと共に宗教授業を行っています。ベトナムのシスターなので、お国の文化や習慣についても教えていただいています。

 2月18日に四旬節に入ったこの時期に、イエス様が弟子たちに行われたことによってより深くイエス様が私たちを愛してくださったことを感じることができるようにと、洗足式に見立ててお互いに手を洗い合うこと、最後の晩餐で行ったように1つのパンを皆で分け合うこと、ぶどう酒(ぶどうジュースで行いました)を注ぎあうことをお聖堂で行いました。

 足を洗うときは、体をかがめなければ相手の足を洗うことはできません。それは、自分を高くするのではなく、自分を低くして神さまにも、相手にも謙虚な心をもつという意味があります。今回は手を洗い合いましたが、それは、お互いに身をかがめ合うことで平等を意味しています。

 今、目の前にあるパンは皆が普段家でも食べている普通のパンですが、ごミサの中で神父様が唱える言葉によって聖変化し、このパンはイエス様の御体に、ブドウ酒は御血になります。

 1人にひとつずつのパンがあってそれをいただくのと、大きなパンをさいて分け合うのではどんな意味の違いがあるでしょうか。それを心で感じながらいただきました。

 また、イエス様が私たちの罪を一身に負い、最後の一滴までも流してくださった御血をいただくことによって、イエス様のお苦しみを考えました。

 私たちがどのような心で四旬節を過ごすのか、ベトナムで行っているやり方を体験させていただきながら考える、素晴らしい機会でした。

理科の授業の様子

 今回は3年生と4年生の授業の様子をお届けいたします。

 3年生は「じしゃくのふしぎ」という単元です。

 じしゃくは鉄をひきつけることができます。では、じしゃくを砂場に近づけるとどうなるでしょう?ビニール袋にじしゃくを入れて実験してみます。すると、砂場の中の砂鉄が大量にじしゃくにひきつけられます。

 また、よく観察すると砂鉄に砂鉄がひきつけられていることも分かります。こうした実験を通して、じしゃくには離れた鉄でもひきつけるはたらきや、鉄をじしゃくに変えるはたらきがあることを学ぶことができました。

 

 4年生は「すがたを変える水」という単元です。

 水を熱してふっとうさせると、あわが出てきます。子どもたちは水が水蒸気にすがたを変化させていると考えます。これを確かめるための実験をしました。

 ビーカーの水がふっとうした時のあわを集められるように、ろうとを逆さまにしてビーカーに入れます。ろうとにはゴム管やストローを通じて、ビニール袋をつなげます。

 ビーカーの水がふっとうすると、出てきたあわ(気体)によって、ビニール袋がふくらんでいくことが分かります。

 さらに、熱するのをやめるとビニール袋の中身はすぐに冷えてしぼんでいきます。ビニール袋を観察すると中には水(液体)がたまっていました。冷やされることで水にすがたをもどしたことから、子どもたちの予想通り、水は熱せられると水蒸気にすがたを変えてあわとして出てきていたのだということが確認できました。

復活祭に向けて

2月18日は、灰の水曜日でした。この日が四旬節(レント)の始まりの日。
今年は4月5日が復活祭ですから、その日までの約40日間、復活祭(イースター)を迎える準備をしましょう。私たちの心を改め、お祈りを大切にし、神さまに心を近づけたいと思います。

教皇様レオ14世は、四旬節メッセージを出されました。その中から皆さんにもできることをお話します。

1つめ「み言葉に耳を傾けること
2つめ「隣人を攻撃しない、傷つける言葉を控えること」です。

1つめの「み言葉」とは聖書の言葉のことです。
神さまからのメッセージに心を傾けてまいりましょう。清泉小学校の2月の聖句は「あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。」ですね。偉くなるってどういうことでしょうか。皆に仕える者ってどういう人でしょうか。

私たちは神さまに倣いたいと願っています。「神さまの目に偉い人であるように、お友だちの幸せのために働くことができる人になりなさい。」というメッセージです。先日あった、宗教委員さんの聖句の説明を振り返ってみるのもよいでしょう。み言葉に耳を傾け、心を神さまに向けましょう。

2つめは、人の嫌がることをしない、悪口は言わない、優しい心を差し出しましょう、ということです。心の傷は目には見えないからこそ、気を付けなければなりません。自分がしてほしいことをお友だちにしましょう。お友だちに冷たい態度や言葉を出していませんか。振り返ってみてください。冷たい心を出すと、冷たい心が返ってきます。もし周りで見かけたら、見過ごさないこともとても大切です。温かい心を差し出すと、温かい心が返ってきます。

教皇様はメッセージの最後に、愛の文明を築くことに役立つよう、進んで努力しましょう、とおっしゃっています。皆さんの周りから始めましょう。近くの人から温かさを広げましょう。

挨拶を自分からしていますか。復活祭に向けて、一人ひとり心の準備と実践をしてまいりましょう。

清泉で大切にしている10の価値「生命」についてお話しするのも、今日が最終回となりました。

2学期から、神さまの目に偉い人=偉人の方のお話をしてきました。マザーテレサ、コルベ神父、杉原千畝、アンリー・デュナン、どの方も他者の幸せのために働かれ、他者のいのちを大切にされました。人種、宗教を超えて、その人そのものであるいのちを救うために、働かれたのです。2月の聖句「あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。」そのみ言葉そのものを実行されました。人々を強い意思で導きながら、人々の一番困難なつらいことに寄り添い、人々のために尽くしました。

聖ラファエラ・マリア様のお父様もそのような方でした。ペドロ・アバドの村長さんでしたが、貧しい人たちのために富と力を用いた方でした。悪性のコレラが流行った時は、コルドバの人口の2/3が犠牲になるほどでしたが、村から逃げることなく、村に残り病気になった人々を見舞い、励まし、その方々に薬を自ら買って届けたそうです。とうとうお父様もコレラに感染して47歳で亡くなられました。その後お母様も、お父様の想いを次いで、貧しい方々に寛大な心を表されたそうです。

そんなご両親のもとに育ったラファエラ・マリア様の言葉です。

「神の愛はすべてのものにおよびます。わたしたちはみな、神の子どもなのです。」

一人ひとりが神さまから愛され、生まれてきました。自分の大事ないのち、そしてお友だちの大事ないのちを守り、尊重し、平和を築く人となりますように、願っています。

「第56回神奈川県私立小学校児童造形展」

 2月7日(土)~11日(祝・水)、鎌倉芸術館ギャラリーにて第56回神奈川県私立小学校児童造形展が開催されました。神奈川県の私立小学校の児童作品が集められて展示される催しで、今年で56回目となります。

 今年度は学校ブースに1・2年生、4・5・6年生の作品が展示され、企画展示ブースには3年生全員の「鎌倉」の絵が展示されました。

 会期中、雪や雨の日もあった中、のべ5000人もの方々が会場に足を運んで下さり、子ども達のいきいきとした作品、「図工って楽しい」「絵を描くって楽しい」という気持ちがあふれる作品をご覧いただくことができました。

Instagramフォロワー数3000人超えました!

この度、公式Instagramのフォロワー数が3000人を超えました!

いつも私たちのInstagramを見てくださり、ありがとうございます。

今後も学校生活の様子が分かる投稿を続けてまいりますので、引き続きお楽しみください。

周りの方のために自分ができること

今日は「節分」。鬼は外、福は内、と豆をまいて無病息災を願いますが、「節分」には漢字で分かるように「季節を分ける」という意味もあります。暦の上では季節の変わり目で、明日は立春。少しずつ春の訪れを感じられることでしょう。

清泉小学校は青少年赤十字に加盟しており、青少年赤十字の一員です。昨年は、防災についてスタッフの方にお話をいただきました。夏休みには5・6年生の4名が青少年赤十字のリーダー研修に参加して、9月にこの朝礼で発表してくれました。

赤十字マークを見たことはありますか?病院や献血バスに赤十字マークがついていることがあります。赤十字の方々は東日本大震災やウクライナの人道危機で救援物資を送ったり、紛争地域での救援活動を行ったりしています。それでは赤十字は、いったい誰がつくったのでしょうか。

今朝は、赤十字をつくったアンリー・デュナンについてお話をします。アンリー・デュナンを知っていますか。

赤十字の父と呼ばれるアンリー・デュナンは、およそ200年前の1828年、とても裕福な家庭に生まれました。お父様もお母様も愛情豊かで、周りの方を大切にする人でした。たくさんの愛を注がれてデュナンは育ちます。上流階級であったにもかかわらず、お母様は下町の汚い裏通りに住む病気の人を元気づけたり、貧しい人々のお手伝いをしたりしていました。デュナンも幼いころからお母様と一緒に貧しい人のところに行って、お手伝いをしていました。また、聖書とお祈りも大切にしていたそうです。これらの話は、聖ラファエラ・マリア様の幼少期と似ていますね。

大人になったデュナンは、アフリカ北部のアルジェリアに小麦の農場と製粉会社をつくります。小麦を育てるためには水が必要でしたが、水を使うためにはフランスに願い出なければなりませんでした。(そのころアルジェリアはフランス領だったため)でも、なかなか許可が下りません。そこでデュナンは、イタリア北部の戦場にいるフランスの皇帝、ナポレオン三世に会いに行きました。

イタリア北部では、ソルフェリーノの戦い(フランス・サルディーニャ連合軍対オーストリア軍)があり、多くのけがを負った兵士たちが教会に運ばれていました。そこにまさにデュナンの馬車が通りかかったのです。デュナンは恐ろしい光景を見ました。多くの負傷兵が所狭しと横たわっていたのです。まだいのちがある者、息絶えた者・・・そのむごたらしさにデュナンはすぐに重症者には励ましを、死にかけている人にはそばで寄り添う、などの手伝いを始めました。しかし薬、包帯、人手などなにもかもが足りません。町の人に協力を得るために「救護に役立ちそうなものがあったら分けていただけませんか。」とお願いしてまわり、何とか町の人にも協力をしてもらいました。
そんなとき、「あんた。何をしているんだ。それは敵の兵隊だ。助けなくていい。」という声がしました。
それに対しデュナンは「やめなさい。傷ついた者に敵も味方もありません。人類はみな兄弟です。」と声を上げました。
「人類はみな兄弟」を合言葉に声をかけあい、どの負傷者に対しても国籍に関係なく、同じように手厚く世話をしました。デュナンとともに自由意思で参加した人たちは、負傷兵はもはや兵士ではなく一人の人間として等しく扱わなければならないという、のちの赤十字の基本原則を実践していったのです。それは良きサマリア人のようでした。

三日三晩、寝る間を惜しんで救護にあたったデュナンは、フランスの陣地にいるナポレオン三世のところに向かいました。小麦を育てるために水を使わせてほしいとお願いをしに行くはずでしたが、皇帝のお付きの人に願ったことは、「負傷兵は悲惨な状況にあります。フランス軍の捕虜になっているオーストリア軍の医者をすぐに解放してください。」ということでした。いのちを救うために一人でも多くの医者が欲しいと願い、本来話したかったアルジェリアの小麦のための水のお願いはしなかったそうです。製粉工場よりも負傷兵のいのちを優先したのです。結局デュナンの会社は倒産しました。しかしながら、デュナンはやるべきことを見つけたことになります。

戦争が終わり、デュナンはスイス・ジュネーブに戻って「ソルフェリーノの思い出」という本を書きました。「戦争を起こしてはなりません。どうしてもそれができないなら、敵味方の区別なく助ける団体をつくるべきです。」と世の中に訴えたのです。そしてジュネーブ条約が成立しました。それは、たとえ戦争がおきても、赤十字マークのついている施設や人を絶対に攻撃してはいけない、という決まりのことです。その37年後、デュナンは第1回ノーベル平和賞を受賞しました。

赤十字のマークはスイスの国旗の色を逆にしたものです。スイスの国旗は赤地に白い十字ですが、赤十字マークは白地に赤色の十字です。日本での赤十字は、1877年の西南戦争のとき佐野常民が設立した「博愛社」が原点です。清泉小学校の卒業生、近衛忠輝さんは日本赤十字社の名誉社長でいらっしゃいます。

最後に赤十字の基本原則は7つ「人道公平中立独立奉仕単一世界性」。人道が一番の基本です。「どんな状況でも人間の苦しみをやわらげ、生命と健康を守るやさしさ、思いやりをもつ。」ことです。

これからも青少年赤十字の一員として、生命の尊重のため、周りの方の幸せのために自分ができることを考えてまいりましょう。清泉小学校の「お友だちを大切に」の精神と重なります。

参考文献
「赤十字の父アンリー・デュナン」春風社
「青少年赤十字のひみつ」学研

一人でも正しいことをするということ

今日は「大寒」。1年で最も寒いと言われている時期です。しかしながら春に向けて少しずつ自然界は動き始める時でもあります。「横浜から梅の便りが早々に届きました。」と先日ニュースで聞きました。観測史上最も早いそうです。三浦に行った時も、この時期ならではの自然探しを楽しんでくださいね。

今年度は、清泉で大切にしている10の価値「生命」についてお話をしています。今日は前回お話ししたコルベ神父様と同じ時代を生き、多くの人々の命を救った杉原千畝さんの生き方を通して考えてみたいと思います。皆さんは杉原千畝さんを知っていますか。

杉原千畝さんは、1900年に岐阜県で生まれました。クリスチャンだった杉原千畝さんは「神は愛である」という言葉を大切にした正義感のある心の真っ直ぐな方でした。学校を出た後、満州国で外務省の仕事をしていましたが、そこでの様子に我慢できず、その職を辞めて日本に帰ってきたそうです。その後結婚をして、1937年からフィンランドで外交官の仕事をすることになり、ヨーロッパに船で渡ります。ロシア語が上手な杉原千畝さんは、1939年、リトアニアのカウナスの日本領事館で、外交官としてソ連についての情報を集める仕事をするため転勤になります。その年の9月1日、ナチス・ドイツはポーランドに攻め込み、2日後イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が始まりました。ポーランドはナチス・ドイツに占領され、ユダヤ人は大人も子どもも強制収容所に連れて行かれてしまいました。

1940年夏、リトアニア領事館の前にたくさんのユダヤ人が集まってきていました。ポーランドから逃げてきたユダヤ人避難民でした。ナチス・ドイツからの迫害を逃れ安全な国へ逃げるため、ソ連と日本を通る通過ビザを発給してほしいとやってきた人々だったのです。命からがら着のみ着のままで、ドイツ兵に見つからないように子どもの手をしっかり握って必死に歩いてきた人々でした。

杉原千畝さん家族も外の様子を心配して見守っていました。
「あの人たち、何しに来たの?」「悪い人につかまって、殺されるかもしれないから、助けてくださいって、言っているのよ。」「パパが、助けてあげるの?」そんな会話が奥様とお子さんの間で交わされました。

杉原千畝さんは日本の外務省にビザの発給許可を問い合わせましたが、「行きたい国から入国の許可証をもらっていない人には、日本に入るビザを出してはいけない」と、ビザ発給は認められませんでした。その頃、日本はドイツ、イタリアと手を結び、日本に批判的なアメリカやイギリスと対立する方向へ向かっていました。ですから外務省はドイツに逆らうビザを出すことを認めなかったのです。
杉原千畝さんがユダヤ人避難民にビザを発行したら、日本の外務省に背くことになります。「日本の外交官という立場」、「目の前の大勢の人々のいのち」そして「杉原さん家族の安全」と、杉原千畝さんは悩みに悩んでいました。そしてついに「これだけの人を置いて、私たちだけが逃げることはできない」と決心し、集まった人々にこう言いました。「日本の領事館は、ユダヤ人に通過ビザを出します。」それからは寝食を忘れるほど必死に、ユダヤ人避難民にビザを書き続けました。
「世界は大きな車輪のようなものです。対立したり、争ったりせずに、みんなで手をつなぎ合って、まわっていかなければなりません。では、お元気で、幸運を祈ります。」などと励ましの言葉をかけながら、万年筆が折れてしまうほど毎日毎日ビザを書き続けました。リトアニアの日本領事館を閉じなくてはならない1か月間という期限ぎりぎりまで、6000人以上に通過ビザを書いたのです。モスクワの日本大使館にも応援を頼んだり、次の国への汽車に乗り込むぎりぎりまで書いたりしたそうです。

戦後、日本にやっとの思いで戻ってきた杉原千畝さんは、外務省を追われ、やめることになりました。

ビザを発行してから28年が経った時、杉原千畝さんが書いたビザで生き延び、イスラエルの日本大使館で働いているニシュリさんという方と会うことができました。ニシュリさんは「これを覚えていますか。」とぼろぼろになった杉原千畝さんが書いたビザを見せました。「あのビザで多くの人が助かったんだ。」とようやくわかり、杉原千畝さんは心から喜ばれたそうです。6000人を超える人々のいのちを本当に救ったのです。現在その子孫は25万人以上にもなるそうです。

杉原千畝さんは1986年に鎌倉で亡くなられ、お墓も鎌倉にあります。生前「当たり前のことをしただけです。」とおっしゃっていたそうですが、自分を顧みず、人のいのちを一番に考え、たくさんの勇気と英知を持って、困難に立ち向かった杉原千畝さんの精神は、私たちに多くを語りかけています。違う国の人だからとか、私と考えがちがう人だからと見捨てることなく、神さまからいただいた一人ひとりのいのちを最優先に考えたのです。「一人でも正しいことをする」ということを恐れず実行することは、なかなか難しいことですが、このような立派な方がいらしたことを知ることで、私たちにも何ができるかを考えることは大切です。平和を守ること、お友だちを大切にすること、お祈りをすることなど、小さくても自分の周りから実践してまいりましょう。

2月15日(日)カトリック小学校合同説明会のご案内

2026年2月15日(日)、カトリック山手教会で横浜教区のカトリック小学校が参加する合同説明会が開かれます。
清泉小学校も参加いたします。事前のご予約は不要です。
皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

日時 2026年2月15日(日) 13:30~15:30
場所 カトリック山手教会 〒231-8652横浜市中区山手町44
JR石川町駅 南口から徒歩約10分
みなとみらい線 元町中華街駅アメリカ山公園口より徒歩約15分
神奈中バス11系統 桜木町駅から乗車し山手町バス停下車すぐ

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