清泉小だより

校長だより

終業式

今日で、1年で1番長い学期、2学期が終わります。

2学期の始業式で、皆さんに
「2学期は自分の力を発揮するときです。やらなくてはならないことには誠実に、これをすると周りの方が喜んでいただけると気づいたときは自らすすんで、積極的にやっていきましょう。神さまからいただいた力を惜しまずに使っていきましょう。」とお話をしました。

今振り返ってみていかがでしょうか。いろんなことがありましたね。9月とはちがう皆さんがここにいます。心も体も大きく成長しました。

1年生は合宿が初めてでしたね。お友だちといっしょにどきどきわくわくしながら、長い時間を過ごした時間は楽しかったことでしょう。

2年生は、お世話をしているハニー君と、さらに多くの時間を過ごして、ハニー君のことをよく知ったことでしょう。

3年生は鎌倉調べを続けることで、鎌倉への想いが深くなったことでしょう。

4年生が主催したクリスマスの集いでは、クリスマスの温かさが伝わってきました。一人ひとりが輝いていました。ありがとうございました。

5年生は総合学習で、それぞれのクラスが「戦争と平和」「福祉」について深く考えました。多くの学びがありましたね。

6年生は、ハンガーバンケットが貴重な体験であったことでしょう。世界のもうひとりのお友だちのことを考えるよい体験でした。どうしたら困っている方々に寄り添うことができるか、みんなで考え合ったことを、忘れないでくださいね。

そして清泉小学校の皆で共に過ごした秋の集いは、心に深く刻まれたことでしょう。精一杯の力を出し切った結果が、赤組青組の同点につながりました。皆さんの姿は、見ている人たちの心を動かしました。すてきな秋の1日でした。

このように2学期を振り返ってみると、達成感でいっぱいの人が多いことでしょう。よくがんばりました。

さて、もうすぐクリスマスを迎えます。プレゼント、ケーキ、イルミネーションと街はにぎやかです。イエス様がお生まれになったことをお祝いするメッセージは街にはありませんが、なんだか心がうきうき温かい気持ちに周りの方々もなっていると思います。本当のクリスマスの意味が分からなくてもクリスマスを日本では味わっています。しかし、皆さんは本当のクリスマスのことを知っていますね。ベツレヘムで宿に泊まれず、家畜小屋でイエス様はお生まれになります。マリア様とヨセフ様のそばで飼い葉おけに寝かされたイエス様の誕生を、羊飼いたちや星の光を頼りにやってきた博士たちが心から喜びお祝いします。世界で最初のクリスマスは、小さい小さいクリスマスでした。神さまは人としてイエス様を私たちにプレゼントしてくださいました。一人ひとりを愛で包んでくださる神様に感謝して、このクリスマスをお祝いいたしましょう。

冬休みは、久しぶりにお会いする親戚の方もいらっしゃると思います。どのように接しますか?笑顔で、温かい挨拶を心がけ、冬休みも「お友だちを大切に」しながら過ごしましょう。

生活リズムを崩さず、よいお休みを過ごしてください。皆様のためにお祈りしています。
2026年1月8日に、元気にまたお会いしましょう。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない

11日はクリスマスの集い、来週は2学期の終業式を迎えます。2学期前半は、とても暑い日が続いていましたが、今は寒さが身にしみる冬がやってきました。「お友だちを大切に」過ごせましたか。自分中心に考えていませんでしたか。周りの方の気持ちや状況を想像して、ことばや態度で表せていましたか。

今、私は、6年生と面接をしています。「清泉小学校で大切にしてきたことは何でしたか。」と質問した時に、全員が「お友だちを大切にという学校で大事にしていることを実践してきました。」と答えました。そして、「お友だちに嫌な思いをさせないようにしました」「『お友だち』の意味の深さを考えながら過ごしました。」「自分よりお友だちを優先しました。」「困っている低学年のお友だちに積極的に声をかけました。」「お友だちと意見がぶつかっても、こういうことを言ったら嫌だろうなと思いながら、話しました。」と次々に実践してきたことをお話ししてくれました。相手の気持ちに寄り添おうとする優しさや、心の広さを感じました。そんな思いやりのあふれる6年生と学校生活を送れるのも、残り53日ほどです。「お友だちを大切に」、皆さん一人ひとりの温かい心を渡していきましょう。

今年度は、清泉で大切にしている10の価値の中の「生命」について考えています。
今日は、前回のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父様のお話の続きをします。

いまから130年ほど前にポーランドでお生まれになったコルベ神父様は、36歳で長崎に上陸され、お金もない、日本語も知らない中、それでもイエス様のお導きで、長崎彦山の中腹、本河内に聖母の騎士修道院を開きました。結核を患いながらの6年間の日本での生活でしたが、ご自分の生命をキリスト教の布教に捧げられました。

日本を後にし、コルベ神父様は帰国されます。その後第二次世界大戦中、コルベ神父様の話すカトリックの教えとナチスの思想は相反するとして、コルベ神父様達はブラックリストに載せられてしまいました。コルベ神父様はついに捕らえられ、アウシュビッツの強制収容所へと送られてしまうのです。そこでは、少しでも働ける者は重労働を、働けないものはガス室に送られ命を奪われていました。毎日毎日、大勢の人が亡くなりました。食料不足、寒さ、不衛生によって病気になって死んでいく人もたくさんいました。

コルベ神父様は若い神父様たちを励まし続けました。「私はここを生きて出ることはできません。しかしあなた方は帰れます。気を落としてはいけません。聖母マリアが必ずあなた方を助けてくださいます。」時に、神さまのお話を人々に語ることもありました。極限状態でもコルベ神父様は、周りの方のために尽くされていました。

ある日、一人の仲間が逃げ出しました。それをきっかけに、その日は暑かったにもかかわらず水を一滴も与えられず、照りつける日差しの中、コルベ神父様たちはずっと立たされていました。何人もの人が倒れる中、収容所の所長が言いました。「逃げたやつは見つからない。10人をこれから選ぶ。そいつらはみせしめに飢えて死んでもらわねばならない。」所長は気まぐれに10人を選んでいきます。人を人として全く扱っていません。

その中の一人が泣き叫びました。「ああ、かわいそうな妻と子ども達」

その時、一人の男性が前に出ました。

「あの人の身代わりになりたいのです。」

「お前は誰だ。」

「カトリック司祭です。私には家族がありませんから。」

一歩前に出てそう話されたのは、コルベ神父様でした。

所長は一瞬黙りました。かつて体験したことがない場面だったからです。

「よかろう。」

人々の列が2列に分かれました。生きる人の列と、死に行く人の列に。

第11号棟の地下牢に裸で放り込まれた人たちは、絶望の底で死の恐怖や苦しみと闘いました。そんな中でもコルベ神父様は、なつかしい思い出、家族のことを人々とともに語り、祈り、歌い、皆を勇気づけました。一人、また一人と亡くなり、とうとうコルベ神父様だけが残りました。15日目、とうとうコルベ神父様は毒薬を注射されてしまいます。47年の生涯でした。

コルベ神父様に身代わりになってもらった方は、奇跡的に生きて帰りました。残念なことに2人の息子は戦争で亡くなっていましたが、自分の生命を差し出したコルベ神父様の行為は、広く世界に知られるようになっていったのです。コルベ神父様は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という聖書の言葉を、この世で生きて見せたのです。1982年10月、ローマ法王庁はコルベ神父様を聖人にあげられました。

コルベ神父様を通して、自分より他者を優先する愛が伝わってきます。どんなに過酷な状況でも神さま、マリア様に身を委ねたコルベ神父様の信仰の強さを感じます。

人は本来、優しさも持ち合わせていますが、戦争となると、人を人として見ず、生命への尊重の念も消え、正しい考えを失ってしまいます。みんな神さまから愛され大事にされている人であり、生命です。生命の大切さを改めて心深く考え、私たちにできる「お友だちを大切に」を実行してまいりましょう。

参考文献「コルベ神父物語」曽野綾子著 聖母の騎士社

コルベ神父様を知っていますか

今日は11月11日。日本記念日協会によると、1年の中でも3番目に記念日が多い日だそうです。
調べてみると、今日は、鮭の日(魚へんに十一十一)、たくあんの日(大根をたくあん用に1111と干すイメージ)、電池の日(乾電池の+-+-)、ポッキーとプリッツの日(形が1に似ている)など、他にもたくさんありました。

気が付けばすでに2学期も後半に入っています。クリスマスの集いに向けて、4年生は少しずつ準備に入ることでしょう。温かい気持ちで皆でイエス様のご誕生をお祝いできるよう、4年生の皆さん、どうぞよろしくお願いします。

さて皆さんは「お友だちを大切に」「誠実に」過ごせていますか。振り返ってみましょう。
朝の路線バスは5年生や6年生が利用していますが、先日そのバスに乗った先生から、マナーが素晴らしかったと聞きました。後ろから詰めて座り、乗り合わせた方のことを考えておしゃべりを控え、バスの中でも「お友だちを大切に」を実践していたようです。バスの中の“お友だち”は一体どなたでしょう。清泉小の児童だけでなく、同じバスに乗り合わせた一般のお客様もお友だちです。その方々を特に大切にしたのですね。この温かい気持ちを持ち続けてください。

逆に、とても残念なことに電車内で乗客の方にご迷惑をおかけしたこともありましたので、その事についても共に考えたいと思います。昔あったことをお話します。
電車の中で、清泉の児童が背負っているランドセルが乗客の方に強く当たってしまい、その方が手に持っていたものを落としてしまいました。その方は「痛い」とおっしゃったようですが、その時の清泉生は、大事な言葉がとっさに出ませんでした。何と言えばよかったでしょう。『清泉の子ども』で大切にしている言葉「どうぞ、ありがとう、ごめんなさい」の「ごめんなさい」ですね。「ごめんなさい」が、相手の方に伝わらないと、相手の方も嫌な思いを持ったままその後も過ごすことになります。皆さんも急にぶつけられて痛かったら悲しい気持ちになる事でしょう。その場ですぐに「ごめんなさい。大丈夫ですか。」と声をかけることが出来たら、相手の方も心が和らぎます。わざとでなくてもうっかり失敗してしまったら、すぐに「ごめんなさい」と言え、申し訳ないという気持ちを伝えることが出来るようにしましょう。


さて今年度は、清泉で大切にしている10の価値の中の「生命」について考えています。前回はマザーテレサのお話でした。今回は、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様のお話をします。皆さんはコルベ神父様を知っていますか。

今から44年前、日本に初めて教皇様がいらっしゃいました。1981年2月26日、長崎では珍しい大雪の中、教皇ヨハネ・パウロ2世が来日されたのです。忙しい日程の中、長崎の本河内にある聖母の騎士修道院を訪ね、長い時間そこで祈られました。実は、コルベ神父様と同じポーランド人の教皇様は、この修道院を訪ねることが以前からの特別な望みだったのです。
「キリストが示された愛の姿をそのまま実行されたコルベ神父様を見習うために、この修道院を訪ねました。」
と教皇様はお話しされました。キリストが示された愛をそのまま実行したコルベ神父様はどんな方なのでしょうか。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネによる福音書15章13節)」という聖書の言葉をコルベ神父様はこの世で生きてみせたのです。まさにご自分の生命を他者のためにささげたのでした。

コルベ神父様は1894年、ポーランドで生まれました。13歳の時フランシスコ修道会の神学校に入ります。その後23歳の時に、神学・哲学を共に学んだ仲間と共に、聖母の騎士修道会を設立。35歳の時にキリストの教えを広めるため、日本へ行くことを望まれ、36歳で長崎に上陸します。お金もない、日本語も知らない、日本に知人もいない上陸でした。「何もないですが、神さまが与えてくださると思います。」と神さまにゆだねながら、早速大浦天主堂の下に仮の修道院をつくり、布教のために「聖母の騎士」の冊子を創刊します。貧しく厳しい生活でしたが精力的に働かれました。その翌年には、長崎の彦山の中腹、本河内に聖母の騎士修道院を開きました。6年間の日本での生活でしたが、結核を長年患っていたのでしじゅう熱を出しながらの日々でした。長崎で被爆され「長崎の鐘」や「この子を残して」を書かれた永井隆博士もコルベ神父様の診察をしていたそうです。「この重い肺病をもちながら、世界中を走り回って聖母の騎士運動を長い年月続けているとは・・・」と永井博士はびっくりされました。そんな永井博士にコルベ神父様はロザリオを差し出して「これですよ、これ。」と嬉しそうにマリア様とともにおられることを告げたのだそうです。それほど自分の生命をキリスト教の布教に捧げたのでした。私は、コルベ神父様と永井博士の繋がりに驚きました。お二人は共にその後戦争の大きな犠牲者となるからです。

長崎の本河内にある修道院には、コルベ記念館があります。機会があったらぜひ訪ねてみてください。
6年後日本を後にし、コルベ神父様は帰国されました。その後第二次世界大戦中、ナチスは、コルベ神父様の話すカトリックの教えとナチスへの思想は、相反するとしてブラックリストに載せ、ついにコルベ神父様は捕らえられます。ワルシャワの収容所、そしてアウシュビッツの強制収容所へと送られてしまうのです。コルベ神父様はどんな最期を迎えられたのか、それは次にお話をいたします。

男子保護者会の様子をご紹介します

10月28日、男子保護者会が本校講堂で開催されました。大変有意義な時間となりました。

まず、「カトリック校で学ぶことの良さ」と題して、学校法人上智学院(上智大学、栄光学園、六甲学院、広島学院、上智福岡)中等教育担当理事の望月伸一郎先生の講演がありました。

「カトリック学校は、創立の時から想いがあり、神が中心の学校。どんな生徒も伸びようとする力をもっている。教育に必要なことは教え込むことではなく、伸びようとする生徒を信じその力を決して妨げないこと。神様から愛されたものとして、他の人と比べない。一人ひとりに素晴らしいものがあるから、その神から与えられたものを最大限に伸ばし育てる。また生涯を通してこの成長を続ける意欲と、伸ばされた才能を他者のために使うモチベーションを育てる。」

イエズス会学校の栄光学園で長年に渡り関わられた先生からのお言葉は、深く沁み通るものばかりでした。教員としても、多くを学ばせていただきました。

次に、同じくカトリック学校の静岡聖光学院入試広報部長、平本直之先生より学校紹介をしていただきました。
静岡の自然豊かな地で、温かい雰囲気の中、伸び伸び学校生活を送る生徒の皆さんの姿が大変印象的でした。

最後に、放課後支援学習でお世話になっています日能研プラネット(株)アトラス 星野貴之様から「私立・公立一貫中学校の歩き方」と題して、中学校を見学する際のチェックポイントを教えていただきました。

校長だより~いのちを守ることは、温かい愛で包むこと~

2学期も引き続き、清泉10の価値“生命”について皆さんと考えていきたいと思います。

今日は、いのちについて強い想いを持ち、他者に愛をもって実践されたマザー・テレサを通して考えてみましょう。皆さんはマザー・テレサを知っていますか。

マザー・テレサは1910年、日本では明治時代の終わりのころ、現在の北マケドニア共和国で生まれました。ご両親はカトリック教徒で、マザー・テレサも生まれてすぐに洗礼を受けました。一家は裕福でしたが、お父様もお母様も貧しい人への助けを積極的にしていたそうです。18歳の時に、アイルランドのロレット修道会に入りました。その後、インドのカルカッタ(現コルカタ)に派遣され、ヨーロッパ系の上流階級の子ども達が多く通っているカトリック女子校で、地理や歴史を教え始めます。インドのカルカッタ(現コルカタ)の修道院の頑丈な塀の外には、みすぼらしい小屋に住んでいる貧しい人々がたくさん生活していましたので、その姿を見ていたマザー・テレサは常に心を痛めていました。イエスさまの言葉「あなたがたによく言っておく。わたしの最も小さな兄弟姉妹の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことである」(マタイ25章40節)がいつもマザー・テレサの心に語りかけていたそうです。

36歳のある夜、汽車の中で『すべてを捨て、最も貧しい人の間で働くように』という神様からの呼びかけを感じ、ロレット修道会をやめて、カルカッタ(現コルカタ)の貧しい人々の中に入って活動を始めます。マザー・テレサが学校で教えていた人たちも加わって、2年後「神の愛の宣教者会」を設立しました。その修道会の目的は、「飢えた人、裸の人、家のない人、体が不自由の人、必要とされることがないすべての人、愛されていない人、誰からも世話をされない人のために働く。」ことでした。

生まれたばかりの捨てられた赤ちゃんを育てることから始め、粗末なサリーをまとい、家のない子どもたちを集めて無料で授業も行いました。「何をするかと決める計画などはありませんでした。苦しんでいる人々が私たちを必要としている、と感じた時、それを対処したにすぎません。神様はいつも何をするべきかを教えてくださいました。」と謙虚な言葉を残されています。貧しい人々の中にイエスさまがおられる、その方々を愛し、その方々に仕えること。そしてその方法は神様に委ねていました。

ある日、道で死にかけている人を見つけ、その人の苦しみをやわらげ、人間らしく死なせてやりたいと連れて帰りベッドに寝かせます。「死を待つ人の家」をつくることにしました。そこに連れてこられた人は、マザー・テレサから「あなたを決して一人にしません。あなたは私たちと同じように望まれて生まれてきた大切な人なのですよ。」と言葉をかけられました。ある時、一人のホームレスを連れてきたとき、その人は「今まで路上で動物のように暮らしていました。しかし今、私は、天使のような死を迎えようとしています。私は微笑みながら死ぬことができます。」と言いました。そのあとその方は亡くなられましたが、マザー・テレサの優しい眼差し、温かい手のぬくもりは、どれだけその人の心を救ったことでしょう。マザー・テレサは一人ひとりの中にいるイエスさまを感じていました。その方のいのちは神様からいただいたかけがえのない大事ないのち、そのいのちが誰にもお世話されず、無視され、一人ぼっちで道に倒れて亡くなりそうになっている、そのような方を受け入れたのでした。いのちを大事にし、どんな人をも愛することを、最も貧しい人々の中で実践されたのです。

マザー・テレサは日本にいらしたことがあります。マザーの話を聞いて感動した学生が「自分もインドに行ってマザーのお手伝いをしたい。」と言った時のマザー・テレサの言葉を紹介します。

「日本の中にも日本のカルカッタがあると思います。そのような気持ちのある方は日本のカルカッタで働いてください。」

マザー・テレサのおっしゃった、「日本のカルカッタ」とは何でしょう。自分の近くにカルカッタはありませんか。それを考えること、それに気づくことが大事だと思います。いのちを守ることは、温かい愛で包むことです。私たちにできることを自分の周りから実行していきましょう。

最後にマザー・テレサの言葉をご紹介します。

「私が思うのに、一番大きな苦しみは一人ぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人の苦しみです。」

それぞれが がんばったバザー

土曜日に行われた清泉ファミリーバザーは、多くの方のお力添えのおかげで、本当にすばらしい 1 日になりました。1年生は初めてのバザーでしたが、いかがでしたか。2年生以上はお仕事をよくがんばりました。お客様を笑顔でお迎えし、しっかり声かけができていました。立派でした。



 

皆さんの先輩方のパワーも素晴らしかったです。先生達が出していたコーナーでは、69期生と 72 期生の卒業生がお店を支えてくださいました。「とても楽しかった。またお手伝いをしたいです。」とおっしゃっていました。

70期の卒業生は、全国の福祉施設から集めたお菓子を販売するお店を出していましたが、その方達からはこんなメッセージをいただきました。「子どもたちが、お父さんにコーヒーをあげたいと、少し高めのコーヒーを手に取って買ったり、おうちの方にプレゼントしたいと購入したりしてくれました。清泉小学校の温かさに感動しました。次回は福祉の説明や、お菓子を作っている様子の写真も用意したいと思います。素敵な機会をありがとうございました。」

卒業生の皆さまに感謝です。

さて今日はこの後、青少年赤十字のリーダーシップ・トレーニング・センターで夏休みに行われた研修に参加した5・6年生がその研修の報告をしてくれます。

皆さんは1学期にこの講堂で、災害時にどのように行動したらよいかというお話を聞いたことを覚えていますか。その時お話をして下さったのが、青少年赤十字の方々です。

青少年赤十字は、赤十字の精神に基づいた世界的な組織です。世界の平和と人類の福祉に貢献できるように、日常生活の中で実践活動を通じて、いのちと健康を大切にし、地域社会や世界のために奉仕し、世界の人々との友好親善の精神を育成することを目的として、さまざまな活動をしています。

清泉小学校は、青少年赤十字の一員となっています。

 

2学期が始まりました

今日からいよいよ2学期です。皆さんは、朝早く起きて制服に着替え、学校に行く準備がスムーズにできましたか。私は皆さんにとても会いたかったので、今朝はいつも以上に早く起きて学校に来ました。皆さんとまたこのように集まれて、本当に幸せです。神様に感謝いたしましょう。

先週の金曜日は休校となってしまい残念でした。台風が神奈川県に大雨をもたらし、電車が遅れたり、停電したり、冠水したりしたところがあったというニュースがありました。皆さんの住んでいる地域は大丈夫でしたか。

気象庁によると、今年の夏は、観測史上最も暑い夏だったそうです。地球温暖化がなければ、このような異常気象はなかったということです。そんな夏休みでも、皆さんは普段できないことを体験して、楽しんだりできたようですね。夏休み中に皆さんがくださったお手紙を見ると、プールで楽しんだこと、発表会に向けて練習に力を入れたこと、自学をがんばっていること、出かけたその土地でゆったり自然に親しんだこと、大阪万博のパビリオン見学で驚いたこと、平和を考えるために広島や沖縄に行ったことなど、さまざまな夏休みの思い出が書かれていました。

私はこの夏休み長崎に行って、原爆資料館を見学してきました。80年前の8月9日、いつも通りに働きに出かけたり、家で過ごしていたりした人々の多くのいのちが、午前11時2分に一瞬にして奪われました。資料館で大きなやけどを負った方の写真や、被爆した浦上天主堂の様子を見て、その惨状に心が痛みました。

現地でたまたま乗ったタクシーのドライバーさんは、長崎、伊王島出身のカトリック信者の方でした。その方のおばさまは、80年前、島から出て長崎市内の学校に通うため、親戚を頼りその家に下宿していたそうです。原爆が投下された日は、学校で兵器を作る手伝いを朝からしていて、いのちは無事だったのですが、お世話になっていた親戚の家は爆心地に近かったため、円卓で皆座っている状態で亡くなられていたということでした。大きなショックを受けながらも、女子学生として傷を負った多くの方々の救護にその後も懸命に従事し、原爆投下から1か月経ったころ、ようやく島の我が家に戻った時、初めておいおい泣いたのだそうです。家に戻るまで、気が張って泣くこともできなかった。それだけ緊張しながら、目の前の方々の看護に必死だった、と。そしておばさまは被爆した私は長生きできない、結婚もしないと、一生独身を貫かれたのだそうです。92歳まで長生きをされたそうですが、被爆の悲惨さだけでなく、その後の人生をも大きく狂わせる原爆の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。

戦後80年間は、戦争のない世界を築こうと戦争を体験なさった方々が日本を導いてこられました。これからは、戦争を知らない世代ばかりの私たちが、すべてのいのちを守るために平和な世界をつくっていかなくてはなりません。2学期も大切な「いのち」について考えたいと思います。

久しぶりに学校に来て、学校の中が1学期と違っている、と思ったことはありますか。多くの方のお力によって、校庭が塗り直され、森の横にあったプールが解体されました。また、校舎1階に美術室が移動し、子どもの玄関の壁面やガラス棚が新しくなっています。皆さんがよりよい学校生活を過ごせるようにしましたので、工事に関わってくださったすべての方に感謝し、学校のものを大事に使ってください。

2学期は自分の力を発揮するときです。やらなくてはならないことには誠実に、これをすると周りの方が喜んでいただけると気づいたときは、自らすすんで積極的にやっていきましょう。神様からいただいた力を惜しまずに使っていきましょう。

終業式

いよいよ今日で1学期が終わります。今、充実感、達成感でいっぱいなのではないでしょうか。皆さんの姿勢やお顔からそれが伝わってきます。

4月に84期の1年生をお迎えし、心新たに新年度をスタートしました。新しいクラスでお互いをよく知り合う1学期だったと思います。「お友だちを大切に」「誠実に」を心にとめて学校生活を送れましたか。お友だちといっしょに考え合ったり、助け合ったりしながらも、時に思い通りにならなくて悩んだり、譲り合ったり、許し合ったりしながら、皆が笑顔であるように心がけましたね。そんな日々の積み重ねができたことは、本当に幸せなことです。神さまに感謝いたしましょう。

さて明日からの夏休みは、全部で48日あります。どんなことをしようかなと、わくわくしていることでしょう。時間がたくさんある夏休みですから、ゆったり身体を休めながらも、ぜひ、やってみたいことにチャレンジしてください。自分はこんなことを研究しました、とか、作品として仕上げました、ドキドキの体験をしましたなど、2学期に教えてください。

特に今年は、先日の放送朝礼でもおはなしがありましたように、戦後80年となる年です。「戦争と平和」について考える展示会や映画、ニュース、書物を多く見かけると思います。80年前、日本で何があったのか知ることが大事です。今もなお、戦争が起きている地域にも心を寄せながら、人類史上初めて原子爆弾を投下された広島と長崎のこと、戦時下を生き抜いた方々、犠牲になられた方々に想いを馳せましょう。そして平和ってどういうことなんだろう、自分にできることはなんだろう、と考えてみてください。また平和のために共に祈りましょう。

この夏も暑さが厳しくなるということです。適切にエアコンを使ったり、水分補給をしたりしながら身体に気をつけてください。そして、なぜこんなに地球が暑くなってしまっているのか、自分に何ができるのか考える機会をつくって、ぜひ地球に優しいことを実行してください。

こうした、なぜなんだろう、どうしてなんだろうという問いを持ち、考えてみる、実行してみる、「なぜ?どうして?やってみよう!」の夏休みになるといいですね。

清泉小学校の先生全員で、皆さんのことをいつもお祈りしています。9月5日、また元気にお会いしましょう。

校長だより~地球環境といのち~

今日から7月に入りました。まだ関東地方は梅雨が明けていませんが、気温が高く暑い日が続いています。暑い日は、汗をかいたら汗をふく、水分補給をする、外では帽子をかぶる、部屋に冷房を効かせるなどのことがとても大切です。しかしながら暑いからと言って、冷房の部屋に閉じこもってばかりいては体に良くないので、適度な運動で汗をかくことも大事です。児童の皆さんも、自分の身体は自分で守れるようにしていきましょう。

今年度は、清泉で大事にしている10の価値の中の、「生命」について考えています。前回は、「戦争といのち」について考えました。今回は「地球環境といのち」について考えたいと思います。

今年は6月から猛烈な暑さという言葉を耳にしました。私は子どものころ、横浜に住んでいましたが今のような暑さではなく、家では冷房をそれほどつけませんでした。通っていた小学校にも冷房はありませんでした。

技術の発展などにより、私たちの生活は便利で効率よくなっていますが、その反面、今、地球自体が大きな変化に見舞われています。気温、雨、台風の様子が大きく変わってきています。地球が大ピンチなのです。

地球温暖化は深刻です。平均気温の上昇によって、動物や生物の生態系が変化しています。獲れていたはずの魚が獲れないと、漁師さんが困った様子でインタビューに答えるニュースを見ます。たとえばサンマやサケなどがそうです。海水の温度が高くなったり、潮の流れが変わってしまったりしていることに原因があります。魚にとって栄養があるプランクトンも、育ちにくい海になってしまったそうです。先日の報道では、三陸沖での海面水温が例年より4度高いとのことでした。梅雨明けが早いとそれだけ日照時間が増えますからどんどん海水温は上がるでしょうとのことでした。

ジャイアントパンダも心配です。温暖化により、住みかとなっている山や食物になる竹林が大きく影響を受けています。ホッキョクグマも北極の海の氷が、この40年ほどで毎年北海道の面積ほど失われ、主食のアザラシを氷の上で狩りをする機会が減って栄養不足になってきているとのことです。つまりジャイアントパンダもホッキョクグマも、いのちに危険があるのです。

人間への影響も深刻です。気温の上昇、干ばつ、大雨や洪水による自然災害の激甚化によって、お米や野菜、果物が育ちにくくなったり、感染症を媒介する蚊の生息範囲が広がって感染のリスクが高まったりして、食糧危機や健康被害等による人間のいのちに危険が出てきました。熱中症や、豪雨や、洪水による身の危険を感じることも多くなりました。

「カーボンニュートラル」や「脱炭素社会」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本では2050年までに二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスの排出量から、森林などによる吸収量を差し引いて0にする目標を立てています。温室効果ガスの排出量をできる限り減らし、森林を大切にすることや再生可能エネルギーの導入を進めることをしています。

まずは、私たちの地球がどうなっているのかを知りましょう。私たちにも地球を守る責任があります。そのためには、何をしたらいいでしょう。思いつくことはありますか。実行していることはありますか。誰かがやればいいのではなく、私たち一人ひとりどのような暮らしをするかが肝心です。生活を見直していきましょう。

小学生の皆さんにもすぐできることは、ペットボトルではなく水筒を使う、レジ袋をもらわないでエコバックを使う、無駄な電気を消す、好きなものを必要な分だけ買う、食べ物を残さず食べる、できるだけ公共交通機関や自転車を使う、ごみを減らす、資源ごみの分別をしっかりする、などでしょう。ぜひ夏休みに、今、地球に何が起きているのかを調べて、地球にやさしいことは何なのか実践してみてください。

前教皇のフランシスコ教皇様も地球環境の悪化を心配され、私たちの生き方にメッセージを出されています。
「地球は私たちの家です。」
「気候の変動は貧しい人々と将来の世代に対する深刻な不正義です。」

まずは地球のために自らアクションを起こしましょう。

校長だより~戦争といのち「かわいそうなぞう 」を通して~

今年度は、清泉で大事にしている10の価値の中の「生命」について考えています。前回は、災害からいのちを守ることについて考えました。昨日は朝の放送で、沖縄慰霊の日についてのおはなしがありましたが、今回も「戦争と生命」について考えたいと思います。

児童が考えた清泉10の価値「生命」のマスコットキャラクター

皆さんは上野動物園に行ったことがありますか。パンダがいました、ライオンやゾウを見ました、という方もいると思いますが、今から80年ほど前の戦争中の日本では、このような動物たちのいのちを薬などで処分せざるを得ないことがありました。清泉の100冊の中に「かわいそうなぞう」(金の星社)という本があります。読んだ人はいますか?あらすじをご紹介したいと思います。

80年ほど前の東京の上野動物園に3頭のゾウがいました。名前はジョン、トンキー、ワンリーといいました。その頃、アメリカとの戦争が激しくなってきました。動物園では、ライオン、トラ、ヒョウ、クマ、ダイジャなど猛獣と呼ばれる動物たちもいました。空襲で爆弾が動物園に落とされたらどうなることでしょう。檻が壊されて、恐ろしい動物たちが街に飛び出し暴れ出したら、大変なことになります。そこでライオンも、トラも、ヒョウも、クマも、ダイジャも、毒を飲ませて殺していました。そしていよいよ3頭のゾウも殺されることになったのです。

まずジョンに毒の入ったジャガイモを与えましたが、利口なジョンは長い鼻でポンポンと遠くに投げ返しました。食べませんでした。仕方なく毒薬の入った注射をしようと試みますが、ゾウの体の皮は厚くて、太い針はポキポキ折れてしまいます。結局、食べ物を1つもやらずにいますと、かわいそうに17日目に亡くなりました。

トンキーとワンリーはいつもかわいい目で心のやさしいゾウでした。なんとかいのちを助けたいと思い、動物園の人たちは仙台の動物園に送ることも考えましたが、仙台の街にも爆弾が落ちるかもしれません。ですから餌をやらずに上野動物園で殺すことにしました。ときどき見回りに行くと、よたよた立ち上がって「えさをください」と細い声を出してせがみました。

「いままで、どのぞうもじぶんのこどものようにかわいがってきたぞうがかりのひとは、ああ、かわいそうに、かわいそうに、と、おりのまえをいったりきたりしてうろうろするばかりでした。するとトンキーとワンリーは、ひょろひょろとからだをおこして、ぞうがかりのまえにすすみでたのでした。おたがいにぐったりとしたからだをせなかでもたれあって、げいとうをはじめたのです。」(本文より)

ゾウがかりの人はがまんできずに餌を運び、水を運びました。「さあ、たべろたべろ、のんでくれ、のんでおくれ。」とゾウの足に抱きすがりました。ゾウに餌をあげてはいけないですし、水を飲ませてはならないのです。けれどもこうして1日でも長く生かしておけば、戦争も終わり、ゾウも助かるかもしれないと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。

とうとうトンキーもワンリーもついに動けなくなり亡くなりました。ゾウがかりの人は、「ぞうがしんだあ。ぞうがしんだあ。」と声をあげて泣き出しました。その頭の上を、またも爆弾を積んだ敵の飛行機がごうごうと東京の空に攻め寄せてきました。「せんそうをやめろ。せんそうをやめてくれえ。やめてくれえ。」とゾウにだきついたまま、こぶしをふりあげて叫びました。

あとで調べますと、大きなゾウの胃袋にはひとしずくの水さえ、入っていませんでした。

というお話です。
人のいのちが脅かされる戦争は、動物たちのいのちをも巻き込んでしまいます。動物たちを我が子のようにお世話していた飼育員の方のことを考えますと、胸が張り裂けそうです。

前教皇のフランシスコ教皇様は、アフリカのナイジェリアの9歳の男の子の「どうしたら世界中の問題を解決できますか?」という質問に、このように答えています。

「わたしたちは、よい心を持った人たちが、戦争は悪いものだと自由に話すことができるように助けなければなりません。~中略~ 戦争の本当の理由は、自分さえよければいいというわがままな心と欲深さなのです。~中略~ 残念ながら、争いをなくす「魔法のつえ」はありません。戦争に勝つためのいちばんよい方法は、戦争を始めないことだということを、人びとにわからせなければなりません。簡単でないのはわかっています。でも、やってみます。あなたもやってみてください。」

この言葉通り、フランシスコ教皇様は平和の実現のために、生涯、力を尽くされました。新しい教皇、レオ14世も「あなたがたに平和があるように。対話と出会いを通じ、橋を架けましょう。」「世界のリーダーたちに訴える、二度と戦争を起こしてはならない」と強くメッセージを出されています。

未来は、皆さんが作り上げていきます。すべてのいのちを守るため、平和の種を蒔く人として歩んでいかれますように、たくさんのことを知り、考え、対話し、学んでいきましょう。

参考文献
「かわいそうなぞう」金の星社 土家由岐雄著
「フランシスコ教皇さまへ」ドンボスコ社 フランシスコ教皇片柳弘史訳

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