校長だより~愛はあたえるもの~
清泉で大切にしている10の価値の中の「愛」について、今年度いっしょに考えてきました。皆さんは「愛」について、どのように感じていますか。
前回の講堂朝礼で紹介した神父様が「人によって、感じ方はいろいろですよ。」とおっしゃっていたように、皆さんに聞いてみると、きっと様々な思いが返ってくると思います。
先日、6年生の方とお話をしていて、こんな話が出ました。
「清泉で大切にしていることは、どの教室にもはられているお友だちを大切にです。その言葉を6年間ずっと考えてきました。どうしたらお友だちに喜ばれるか、低学年のときはよく分からなかったです。でもこんなことかなと思った時は、お友だちのためにできることを自分なりにやってきました。」
頭で思っているだけでなく、実行することの大切さを6年生は実感していたのだと、先生は嬉しく思いました。
愛は、周りの方からしていただくことを待つのではなく、自分から周りの方に与えることです。与える愛を実行していきましょう。
『聖母の騎士』という冊子に、あたえる愛についてこんな記事が掲載されていました。
「子どもの日に、お父さんとお母さんと弟といっしょに遊園地に行きました。お父さんは、遊園地でぼくと弟に風船を買ってくれました。帰りの車の中で、弟はその風船で遊びました。でも風船がバックミラーに映って、お父さんの運転の邪魔になりました。お父さんは弟に注意して、危ないから車の中では風船で遊ばないようにと言いました。でも弟はお父さんのいうことを聞かずに風船で遊び続けたので、お父さんはバックミラーが見えなくなり、弟をしかりました。そして今度風船がバックミラーに映ったら、風船を飛ばしちゃうからね、と、言いました。それでも弟は言うことをきかないで、風船で遊び続けたので、お父さんはついに怒って、弟から風船を取り上げ、風船を本当に窓から外に飛ばしてしまいました。弟は、わーんと泣きました。」
車のバックミラーは運転をする人にとってはとても大事な鏡です。後ろの様子に気を付け、安全に運転しなくてはならないからです。さて、それを見ていたお兄さんはいったいどうしたでしょうか。
「ぼくは、ふと手に持っていた自分の風船に目をやりました。すると弟もぼくの風船を見ていました。ぼくは少し考えてから、ぼくも同じだよ、と弟に言って、窓から風船を飛ばしました。すると弟はだんだん泣き止んで二人で仲良く遊びました。」
お兄さんも弟と後部座席に一緒に座っていて、風船で遊んでいた弟の様子を見ていたことでしょう。弟がお父さんの言うことをきかなくて、困ったな、と思っていたかもしれません。弟の風船がなくなってしまい大泣きをしている様子を見て、ぼくはどうしたらいいか、少し考えていました。もしかしたら、おうちに帰っていっしょにこの風船で遊ぼうね、と言おうと思ったかもしれませんし、ちゃんとお父さんの言うことを守ろうね、となだめようと思ったかもしれません。
皆さんがお兄さんだったら、弟にどのようにしますか。このお兄さんは弟と同じになることを選びました。それが正しいというよりも、お兄さんにとって弟を大事にする気持ちがその実行だったのでしょう。その風船はお父さんに買ってもらった大切な風船だったのですが、その大切な風船を弟の風船と同じように空に飛ばしたのです。お兄さんにとっての弟への最大の愛であったと、先生は感じました。与える愛の行いは、何が正解ということではなく、相手を大事に思う気持ちを表すことです。
「愛」は神様の望まれることを行うことと言えるでしょう。聖ラファエラ・マリア様の言葉「まわりの人を幸せにすることそれがほんとうの愛」の実践です。自分もお友だちも、神様から愛されている大事な大事なひとりです。お友だちを大切にすることで、愛である神様を感じてまいりましょう。