一人でも正しいことをするということ
今日は「大寒」。1年で最も寒いと言われている時期です。しかしながら春に向けて少しずつ自然界は動き始める時でもあります。「横浜から梅の便りが早々に届きました。」と先日ニュースで聞きました。観測史上最も早いそうです。三浦に行った時も、この時期ならではの自然探しを楽しんでくださいね。


今年度は、清泉で大切にしている10の価値「生命」についてお話をしています。今日は前回お話ししたコルベ神父様と同じ時代を生き、多くの人々の命を救った杉原千畝さんの生き方を通して考えてみたいと思います。皆さんは杉原千畝さんを知っていますか。

杉原千畝さんは、1900年に岐阜県で生まれました。クリスチャンだった杉原千畝さんは「神は愛である」という言葉を大切にした正義感のある心の真っ直ぐな方でした。学校を出た後、満州国で外務省の仕事をしていましたが、そこでの様子に我慢できず、その職を辞めて日本に帰ってきたそうです。その後結婚をして、1937年からフィンランドで外交官の仕事をすることになり、ヨーロッパに船で渡ります。ロシア語が上手な杉原千畝さんは、1939年、リトアニアのカウナスの日本領事館で、外交官としてソ連についての情報を集める仕事をするため転勤になります。その年の9月1日、ナチス・ドイツはポーランドに攻め込み、2日後イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が始まりました。ポーランドはナチス・ドイツに占領され、ユダヤ人は大人も子どもも強制収容所に連れて行かれてしまいました。
1940年夏、リトアニア領事館の前にたくさんのユダヤ人が集まってきていました。ポーランドから逃げてきたユダヤ人避難民でした。ナチス・ドイツからの迫害を逃れ安全な国へ逃げるため、ソ連と日本を通る通過ビザを発給してほしいとやってきた人々だったのです。命からがら着のみ着のままで、ドイツ兵に見つからないように子どもの手をしっかり握って必死に歩いてきた人々でした。
杉原千畝さん家族も外の様子を心配して見守っていました。
「あの人たち、何しに来たの?」「悪い人につかまって、殺されるかもしれないから、助けてくださいって、言っているのよ。」「パパが、助けてあげるの?」そんな会話が奥様とお子さんの間で交わされました。
杉原千畝さんは日本の外務省にビザの発給許可を問い合わせましたが、「行きたい国から入国の許可証をもらっていない人には、日本に入るビザを出してはいけない」と、ビザ発給は認められませんでした。その頃、日本はドイツ、イタリアと手を結び、日本に批判的なアメリカやイギリスと対立する方向へ向かっていました。ですから外務省はドイツに逆らうビザを出すことを認めなかったのです。
杉原千畝さんがユダヤ人避難民にビザを発行したら、日本の外務省に背くことになります。「日本の外交官という立場」、「目の前の大勢の人々のいのち」そして「杉原さん家族の安全」と、杉原千畝さんは悩みに悩んでいました。そしてついに「これだけの人を置いて、私たちだけが逃げることはできない」と決心し、集まった人々にこう言いました。「日本の領事館は、ユダヤ人に通過ビザを出します。」それからは寝食を忘れるほど必死に、ユダヤ人避難民にビザを書き続けました。
「世界は大きな車輪のようなものです。対立したり、争ったりせずに、みんなで手をつなぎ合って、まわっていかなければなりません。では、お元気で、幸運を祈ります。」などと励ましの言葉をかけながら、万年筆が折れてしまうほど毎日毎日ビザを書き続けました。リトアニアの日本領事館を閉じなくてはならない1か月間という期限ぎりぎりまで、6000人以上に通過ビザを書いたのです。モスクワの日本大使館にも応援を頼んだり、次の国への汽車に乗り込むぎりぎりまで書いたりしたそうです。
戦後、日本にやっとの思いで戻ってきた杉原千畝さんは、外務省を追われ、やめることになりました。

ビザを発行してから28年が経った時、杉原千畝さんが書いたビザで生き延び、イスラエルの日本大使館で働いているニシュリさんという方と会うことができました。ニシュリさんは「これを覚えていますか。」とぼろぼろになった杉原千畝さんが書いたビザを見せました。「あのビザで多くの人が助かったんだ。」とようやくわかり、杉原千畝さんは心から喜ばれたそうです。6000人を超える人々のいのちを本当に救ったのです。現在その子孫は25万人以上にもなるそうです。
杉原千畝さんは1986年に鎌倉で亡くなられ、お墓も鎌倉にあります。生前「当たり前のことをしただけです。」とおっしゃっていたそうですが、自分を顧みず、人のいのちを一番に考え、たくさんの勇気と英知を持って、困難に立ち向かった杉原千畝さんの精神は、私たちに多くを語りかけています。違う国の人だからとか、私と考えがちがう人だからと見捨てることなく、神さまからいただいた一人ひとりのいのちを最優先に考えたのです。「一人でも正しいことをする」ということを恐れず実行することは、なかなか難しいことですが、このような立派な方がいらしたことを知ることで、私たちにも何ができるかを考えることは大切です。平和を守ること、お友だちを大切にすること、お祈りをすることなど、小さくても自分の周りから実践してまいりましょう。

