コルベ神父様を知っていますか
今日は11月11日。日本記念日協会によると、1年の中でも3番目に記念日が多い日だそうです。
調べてみると、今日は、鮭の日(魚へんに十一十一)、たくあんの日(大根をたくあん用に1111と干すイメージ)、電池の日(乾電池の+-+-)、ポッキーとプリッツの日(形が1に似ている)など、他にもたくさんありました。
気が付けばすでに2学期も後半に入っています。クリスマスの集いに向けて、4年生は少しずつ準備に入ることでしょう。温かい気持ちで皆でイエス様のご誕生をお祝いできるよう、4年生の皆さん、どうぞよろしくお願いします。

さて皆さんは「お友だちを大切に」「誠実に」過ごせていますか。振り返ってみましょう。
朝の路線バスは5年生や6年生が利用していますが、先日そのバスに乗った先生から、マナーが素晴らしかったと聞きました。後ろから詰めて座り、乗り合わせた方のことを考えておしゃべりを控え、バスの中でも「お友だちを大切に」を実践していたようです。バスの中の“お友だち”は一体どなたでしょう。清泉小の児童だけでなく、同じバスに乗り合わせた一般のお客様もお友だちです。その方々を特に大切にしたのですね。この温かい気持ちを持ち続けてください。

逆に、とても残念なことに電車内で乗客の方にご迷惑をおかけしたこともありましたので、その事についても共に考えたいと思います。昔あったことをお話します。
電車の中で、清泉の児童が背負っているランドセルが乗客の方に強く当たってしまい、その方が手に持っていたものを落としてしまいました。その方は「痛い」とおっしゃったようですが、その時の清泉生は、大事な言葉がとっさに出ませんでした。何と言えばよかったでしょう。『清泉の子ども』で大切にしている言葉「どうぞ、ありがとう、ごめんなさい」の「ごめんなさい」ですね。「ごめんなさい」が、相手の方に伝わらないと、相手の方も嫌な思いを持ったままその後も過ごすことになります。皆さんも急にぶつけられて痛かったら悲しい気持ちになる事でしょう。その場ですぐに「ごめんなさい。大丈夫ですか。」と声をかけることが出来たら、相手の方も心が和らぎます。わざとでなくてもうっかり失敗してしまったら、すぐに「ごめんなさい」と言え、申し訳ないという気持ちを伝えることが出来るようにしましょう。


さて今年度は、清泉で大切にしている10の価値の中の「生命」について考えています。前回はマザーテレサのお話でした。今回は、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父様のお話をします。皆さんはコルベ神父様を知っていますか。
今から44年前、日本に初めて教皇様がいらっしゃいました。1981年2月26日、長崎では珍しい大雪の中、教皇ヨハネ・パウロ2世が来日されたのです。忙しい日程の中、長崎の本河内にある聖母の騎士修道院を訪ね、長い時間そこで祈られました。実は、コルベ神父様と同じポーランド人の教皇様は、この修道院を訪ねることが以前からの特別な望みだったのです。
「キリストが示された愛の姿をそのまま実行されたコルベ神父様を見習うために、この修道院を訪ねました。」
と教皇様はお話しされました。キリストが示された愛をそのまま実行したコルベ神父様はどんな方なのでしょうか。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネによる福音書15章13節)」という聖書の言葉をコルベ神父様はこの世で生きてみせたのです。まさにご自分の生命を他者のためにささげたのでした。

コルベ神父様は1894年、ポーランドで生まれました。13歳の時フランシスコ修道会の神学校に入ります。その後23歳の時に、神学・哲学を共に学んだ仲間と共に、聖母の騎士修道会を設立。35歳の時にキリストの教えを広めるため、日本へ行くことを望まれ、36歳で長崎に上陸します。お金もない、日本語も知らない、日本に知人もいない上陸でした。「何もないですが、神さまが与えてくださると思います。」と神さまにゆだねながら、早速大浦天主堂の下に仮の修道院をつくり、布教のために「聖母の騎士」の冊子を創刊します。貧しく厳しい生活でしたが精力的に働かれました。その翌年には、長崎の彦山の中腹、本河内に聖母の騎士修道院を開きました。6年間の日本での生活でしたが、結核を長年患っていたのでしじゅう熱を出しながらの日々でした。長崎で被爆され「長崎の鐘」や「この子を残して」を書かれた永井隆博士もコルベ神父様の診察をしていたそうです。「この重い肺病をもちながら、世界中を走り回って聖母の騎士運動を長い年月続けているとは・・・」と永井博士はびっくりされました。そんな永井博士にコルベ神父様はロザリオを差し出して「これですよ、これ。」と嬉しそうにマリア様とともにおられることを告げたのだそうです。それほど自分の生命をキリスト教の布教に捧げたのでした。私は、コルベ神父様と永井博士の繋がりに驚きました。お二人は共にその後戦争の大きな犠牲者となるからです。
長崎の本河内にある修道院には、コルベ記念館があります。機会があったらぜひ訪ねてみてください。
6年後日本を後にし、コルベ神父様は帰国されました。その後第二次世界大戦中、ナチスは、コルベ神父様の話すカトリックの教えとナチスへの思想は、相反するとしてブラックリストに載せ、ついにコルベ神父様は捕らえられます。ワルシャワの収容所、そしてアウシュビッツの強制収容所へと送られてしまうのです。コルベ神父様はどんな最期を迎えられたのか、それは次にお話をいたします。

