清泉小だより

校長だより~いのちを守ることは、温かい愛で包むこと~

2学期も引き続き、清泉10の価値“生命”について皆さんと考えていきたいと思います。

今日は、いのちについて強い想いを持ち、他者に愛をもって実践されたマザー・テレサを通して考えてみましょう。皆さんはマザー・テレサを知っていますか。

マザー・テレサは1910年、日本では明治時代の終わりのころ、現在の北マケドニア共和国で生まれました。ご両親はカトリック教徒で、マザー・テレサも生まれてすぐに洗礼を受けました。一家は裕福でしたが、お父様もお母様も貧しい人への助けを積極的にしていたそうです。18歳の時に、アイルランドのロレット修道会に入りました。その後、インドのカルカッタ(現コルカタ)に派遣され、ヨーロッパ系の上流階級の子ども達が多く通っているカトリック女子校で、地理や歴史を教え始めます。インドのカルカッタ(現コルカタ)の修道院の頑丈な塀の外には、みすぼらしい小屋に住んでいる貧しい人々がたくさん生活していましたので、その姿を見ていたマザー・テレサは常に心を痛めていました。イエスさまの言葉「あなたがたによく言っておく。わたしの最も小さな兄弟姉妹の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことである」(マタイ25章40節)がいつもマザー・テレサの心に語りかけていたそうです。

36歳のある夜、汽車の中で『すべてを捨て、最も貧しい人の間で働くように』という神様からの呼びかけを感じ、ロレット修道会をやめて、カルカッタ(現コルカタ)の貧しい人々の中に入って活動を始めます。マザー・テレサが学校で教えていた人たちも加わって、2年後「神の愛の宣教者会」を設立しました。その修道会の目的は、「飢えた人、裸の人、家のない人、体が不自由の人、必要とされることがないすべての人、愛されていない人、誰からも世話をされない人のために働く。」ことでした。

生まれたばかりの捨てられた赤ちゃんを育てることから始め、粗末なサリーをまとい、家のない子どもたちを集めて無料で授業も行いました。「何をするかと決める計画などはありませんでした。苦しんでいる人々が私たちを必要としている、と感じた時、それを対処したにすぎません。神様はいつも何をするべきかを教えてくださいました。」と謙虚な言葉を残されています。貧しい人々の中にイエスさまがおられる、その方々を愛し、その方々に仕えること。そしてその方法は神様に委ねていました。

ある日、道で死にかけている人を見つけ、その人の苦しみをやわらげ、人間らしく死なせてやりたいと連れて帰りベッドに寝かせます。「死を待つ人の家」をつくることにしました。そこに連れてこられた人は、マザー・テレサから「あなたを決して一人にしません。あなたは私たちと同じように望まれて生まれてきた大切な人なのですよ。」と言葉をかけられました。ある時、一人のホームレスを連れてきたとき、その人は「今まで路上で動物のように暮らしていました。しかし今、私は、天使のような死を迎えようとしています。私は微笑みながら死ぬことができます。」と言いました。そのあとその方は亡くなられましたが、マザー・テレサの優しい眼差し、温かい手のぬくもりは、どれだけその人の心を救ったことでしょう。マザー・テレサは一人ひとりの中にいるイエスさまを感じていました。その方のいのちは神様からいただいたかけがえのない大事ないのち、そのいのちが誰にもお世話されず、無視され、一人ぼっちで道に倒れて亡くなりそうになっている、そのような方を受け入れたのでした。いのちを大事にし、どんな人をも愛することを、最も貧しい人々の中で実践されたのです。

マザー・テレサは日本にいらしたことがあります。マザーの話を聞いて感動した学生が「自分もインドに行ってマザーのお手伝いをしたい。」と言った時のマザー・テレサの言葉を紹介します。

「日本の中にも日本のカルカッタがあると思います。そのような気持ちのある方は日本のカルカッタで働いてください。」

マザー・テレサのおっしゃった、「日本のカルカッタ」とは何でしょう。自分の近くにカルカッタはありませんか。それを考えること、それに気づくことが大事だと思います。いのちを守ることは、温かい愛で包むことです。私たちにできることを自分の周りから実行していきましょう。

最後にマザー・テレサの言葉をご紹介します。

「私が思うのに、一番大きな苦しみは一人ぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人の苦しみです。」

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