清泉小だより

2学期が始まりました

今日からいよいよ2学期です。皆さんは、朝早く起きて制服に着替え、学校に行く準備がスムーズにできましたか。私は皆さんにとても会いたかったので、今朝はいつも以上に早く起きて学校に来ました。皆さんとまたこのように集まれて、本当に幸せです。神様に感謝いたしましょう。

先週の金曜日は休校となってしまい残念でした。台風が神奈川県に大雨をもたらし、電車が遅れたり、停電したり、冠水したりしたところがあったというニュースがありました。皆さんの住んでいる地域は大丈夫でしたか。

気象庁によると、今年の夏は、観測史上最も暑い夏だったそうです。地球温暖化がなければ、このような異常気象はなかったということです。そんな夏休みでも、皆さんは普段できないことを体験して、楽しんだりできたようですね。夏休み中に皆さんがくださったお手紙を見ると、プールで楽しんだこと、発表会に向けて練習に力を入れたこと、自学をがんばっていること、出かけたその土地でゆったり自然に親しんだこと、大阪万博のパビリオン見学で驚いたこと、平和を考えるために広島や沖縄に行ったことなど、さまざまな夏休みの思い出が書かれていました。

私はこの夏休み長崎に行って、原爆資料館を見学してきました。80年前の8月9日、いつも通りに働きに出かけたり、家で過ごしていたりした人々の多くのいのちが、午前11時2分に一瞬にして奪われました。資料館で大きなやけどを負った方の写真や、被爆した浦上天主堂の様子を見て、その惨状に心が痛みました。

現地でたまたま乗ったタクシーのドライバーさんは、長崎、伊王島出身のカトリック信者の方でした。その方のおばさまは、80年前、島から出て長崎市内の学校に通うため、親戚を頼りその家に下宿していたそうです。原爆が投下された日は、学校で兵器を作る手伝いを朝からしていて、いのちは無事だったのですが、お世話になっていた親戚の家は爆心地に近かったため、円卓で皆座っている状態で亡くなられていたということでした。大きなショックを受けながらも、女子学生として傷を負った多くの方々の救護にその後も懸命に従事し、原爆投下から1か月経ったころ、ようやく島の我が家に戻った時、初めておいおい泣いたのだそうです。家に戻るまで、気が張って泣くこともできなかった。それだけ緊張しながら、目の前の方々の看護に必死だった、と。そしておばさまは被爆した私は長生きできない、結婚もしないと、一生独身を貫かれたのだそうです。92歳まで長生きをされたそうですが、被爆の悲惨さだけでなく、その後の人生をも大きく狂わせる原爆の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。

戦後80年間は、戦争のない世界を築こうと戦争を体験なさった方々が日本を導いてこられました。これからは、戦争を知らない世代ばかりの私たちが、すべてのいのちを守るために平和な世界をつくっていかなくてはなりません。2学期も大切な「いのち」について考えたいと思います。

久しぶりに学校に来て、学校の中が1学期と違っている、と思ったことはありますか。多くの方のお力によって、校庭が塗り直され、森の横にあったプールが解体されました。また、校舎1階に美術室が移動し、子どもの玄関の壁面やガラス棚が新しくなっています。皆さんがよりよい学校生活を過ごせるようにしましたので、工事に関わってくださったすべての方に感謝し、学校のものを大事に使ってください。

2学期は自分の力を発揮するときです。やらなくてはならないことには誠実に、これをすると周りの方が喜んでいただけると気づいたときは、自らすすんで積極的にやっていきましょう。神様からいただいた力を惜しまずに使っていきましょう。

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