2004年 鎌倉調べの様子



森にある『ルルドの洞窟』は、清泉女学院中学校が大船に開校するまでの1年間、鎌倉の清泉小学校で学んでいた当時の生徒たちの、「ルルドのマリア様ご出現100年の時に、何か思い出を残したい」という願いから作られました。



2007年4月24日 急須でお茶をついでいる1年生

2007年4月24日 食前のお祈りをする1年生

2011年3月8日に講堂で行われた卒業感謝ミサの様子

2022年2月3日 登校する児童に帽子をとって挨拶をする週番児童

2008年1月 体育館掃除をする上級生
この頃、掃除は終礼の前に行われていた。

2008年1月 低学年の教室を掃除する上級生

1961年から1970年まで使用された、かまぼこ型体育館兼講堂での体育授業の様子

朝、お聖堂横で登校する下級生に挨拶

保健室横入口のカギの開閉

1959年3月17日の湯河原修学旅行の一コマ




2022年1月20日(木)清泉小学校創立75周年を記念して、講堂で児童による式典を行いました。

1年生

2年生

6年生 ラファエラ様の生涯


2022年1月7日 雪の日の様子

2022年1月6日 雪の自然教室いずみ広場


1959年3月 卒業旅行でヒゲタ醬油工場を見学した時の6年B組の写真

横須賀清泉と鎌倉清泉の6年生が一緒に東京見学をした時の様子


図書室での読書の様子


3年生ろうそく行列の様子




湯河原でミカン狩り


この頃、お聖堂と校庭の間に人工芝のスペースがあり、休み時間人気の場所だった

小学生から大学生まで一緒に運動場で行った


この頃、第2グラウンドにはバスケットコートが設置されていた。


荒崎海岸へ出かけた5年生の集合写真

3・4年生女子のダンス。竹でできた大きな輪を使ってフォーメーションを変えながら踊った。低学年のあこがれだった。



2018年バザー校庭の様子

旧木造校舎で行われた釣り堀ゲームの様子、1回20円だった

2019年のバザーでの魚釣りゲームの様子

この頃、学校に泊まる合宿があった。夜ご飯は調理室で自分たちでカレーを作って食べた。
1967年7月18、19日に行われた時の様子。

2000年、校舎の耐震工事とそれに伴う大改修工事を行った。

工事中、1・2年生は体育館を区切って教室にし、3・4年生は、いずみ会館(現理科棟)を教室として使用した。

5・6年生はラファエラ広場に校舎を仮設し使用した。


ふだん児童が使用する玄関ホール

2021年7月のこどもの玄関の様子。

7月18日(火)から7月20日(木)15期生の修学旅行。小田原駅に到着した時の様子

箱根小涌園に二泊した。この頃クラスは、日組・月組・星組だった。


段葛の測定

寿福寺 実朝の墓(別名唐草やぐら)

泉プールは、1969年1月に帰天されたシスター・エルネスティナ・ラマリョを記念して作られた。完成は1969年6月28日

校庭側から見た校舎


ある夏の日の外朝礼の様子。

この頃の校庭はまだ舗装されていない。


この頃、春は小学校だけの母の日運動会、秋は清泉女学院全体の全校運動会が行われていた。

1950年4月17日横須賀の小学校の分校が、レデンプトール修道会のルイ・フィリップ・レベック神父のご好意により、鎌倉の東橋寺橋奥の山の上に誕生した。この学校は、レデンプトール修道会の聖堂の棟続きに、修道会のブラザー達の手によって作られた1教室で、上級生も下級生もない、先生一人に唯一クラスだった。当初の児童数は27名だった。

1951年12月 堀田先生送別会(3年生)
この分校は、分校開校当時の1年生と、次年度横須賀から移った3年生女子が各1年間使用した。




1961年に完成したかまぼこ型体育館兼講堂に集合する鎌倉校の小学生と中2、教職員

鎌倉13期生は小学校卒業後、中学校の3年間を鎌倉の雪ノ下校舎で過ごした。
1963年、横須賀の中高が鎌倉の城廻に移転した際、鎌倉雪ノ下の中学も統合し、鎌倉13期生も高校からは城廻に移った。


開校当初の正門に続く修道院前の通りには美しい桜並木があった


1961年に完成した、かまぼこ型の体育館兼講堂で行われた卒業式


この頃、2時間目と3時間目の間の休み時間は、全校一斉で牛乳を飲む時間だった。

1956年頃に唱えられていた朝の祈り

聖心侍女修道会来日25周年のお祝いの日の様子。

このイエスの聖心の像は現在、雪ノ下校舎の正門を入った所に設置されている。

今でも校内にはたくさんの聖像が置かれている。
彫刻家の武石弘三郎氏による聖母像

1階の聖母のレリーフ

講堂エントランスの聖母子像

校舎屋上より撮影。1965年頃から1977年頃まで校庭はアスファルトで舗装されていた。


聖堂で行われていた卒業感謝の式の様子

1961年に体育館兼講堂が完成する前の雪ノ下校舎の様子。

最初の体育館。かまぼこ型をしており、講堂も兼ねていた。1971年、現在の体育館と講堂に建て替えられるまで使用されていた。


この頃、第二音楽室は階段教室になっており、現在の3年オープンスペースの場所にあった。

現在校舎のある雪ノ下は、元は大きな日本家屋に池のある庭園のお屋敷だった。

現在もそのころの石灯籠が残っている。
畑に咲く紅梅。中央の高い塔は鐘楼。

このころ第二グラウンドには教室がなく、噴水が設置されていた。美術室は校舎の三階にあった。
左上が小学校の運動場、その下が小学校校舎前のロータリー。ロータリー下部分が修道院前のバラ園。清泉の文字がある部分は全校運動場、全校運動場上部の右側が体育館、左側が講堂。中央下部分が大学。右の湾は小川港。
三浦自然教室の現いずみ広場は、2008年に芝生化されるまでクローバーが植わっており、「クローバー広場」と呼ばれていた。
クローバー広場で子ども達と花冠を作るシスター山路(1983年)
1954年12月、「弁当保温機」が横須賀校舎の中央階段裏側に設置された。2時間目の休み時間になると日直がクラスメイトの弁当を集めて保温機にセットした。
現在(2021年)の弁当保温機。
その前の保温機

横須賀の修道院前庭には小学校のバラ園があり、400本以上のバラが植わっていた。


大雪が積り、授業を変更して皆で雪かきをした。

この頃正門玄関は、現在の1年パレスチナ組教室辺りにあった。
横須賀市稲岡町の同敷地内に小・中・高、大学があった。






